シングルシニアで料理下手

料理が苦手なまま年を重ねてしまいましたが、慎ましく暮らしています。

東京大空襲




子供の頃、父は、毎年3月9日になると、空襲の話をしていました。


正式には3月10日未明。未明だから夜明け前。夜が明けていないのだから、実際に経験した人の感覚では、まだ3月9日だったのだな、と大人になってから思いました。子供の頃は3月9日が空襲の日だと思っていました。



当時父は14歳、あと半月で15歳になる、という頃でした。でも、昔は、数え年だったので、父自身の認識では16歳でした。14歳だったんだね、と言ったら、驚いていました。



父は、4歳年上の姉(私にとっては伯母)と一緒に逃げ惑ったそうです。人の流れに乗って、大勢の人が逃げていく方へ、力いっぱい駆け出すから、追いかけるのが大変だったと伯母が言っていました。



父が逃げた方向は、予め祖父が父たちに避難するように言っていた方角とは正反対でした。なので、こっぴどく叱られたたそうです。


でも、そのとき父は初めて親に反抗したと言っていました、「生きてるから怒れるんだろ!」と。初めて親に逆らったと何度も言っていましたが、どれほどのことを経験したんだろう、と思います。



子どもだった私たちには、あまり悲惨な話はしませんでしたが、それでも、知らないおばあさんと一緒に逃げていたのに、いつのまにか、いなくなっていた、とは言っていました。子供の頃には気がつきませんでしたが、大きくなってからは、そういうことなんだな、と思いました。



父が逃げた方向の川では、多くの人が亡くなっています。現在は鎮魂の碑が建っています。



その碑には、二千八百余名が犠牲になったと記されていました。



父の思いに心を寄せれば、私にとっては3月9日が鎮魂の日です。